# ブログ論 # 考え方

いつまでも人生の道が分からない人が増えてきているんだと思う。

いつまでも人生の道が分からない人が増えてきているんだと思う。

あ、質問箱の告知しときます。日曜日は質問箱への回答しますのでなにか質問ください。

なんか日本列島ですごい気温差が発生しているらしきことを耳にした。

!!!??? pic.twitter.com/kmx5SSBW3Q

— 彩李あろ/Ariaro (@ayap1263) 2018年8月7日

8月6日の段階ですけど、北海道の根室市厚床では8月観測史上最低の3.6度だったらしいですよ。ちょっともうわけ解んないですね。今調べてみても12度ぐらいが普通にあったりして北海道はそういう気温みたいです。

さて、今日は何を書こうかな。近況としては普通に仕事をして、適当にザラ場をうろついて、twitterやらはてぶやらをウロウロしている感じ。今日はネタもないことだし、お題スロットで前置きを埋めて、適当な記事でフィニッシュしよう。

僕の生活というのは極めて綿密にやることの順番が決まっているというよくわからないものになっている。多分、アスペルガー障害とかその部類だと思うんだけど、毎日の中でやるべきことの順番とか時間とかがはっきりしていないと気がすまないっていう習慣があるのよ。有名人だと哲学者のカントがそんな感じだったよね。散歩の時間があまりにも時間ぴったりすぎて時計を合わせるのに使われたという逸話も残っている。

僕の場合も時間ごとにやることが決まっていて、今だと朝4時に起きて、コーヒーを淹れてからPCを立ち上げてブログを執筆し始めるという習慣になっている。その際、なにか一言ツイートして始めるので知っている人も多いだろう。

僕の場合、なにかやる時間を決めると本当に毎日全くこの習慣をインストールしてしまって、毎日座るバスの席から毎日コンビニで何を買うかまで決まってしまう。だから平日はコンビニでブランパンを2つ買うとか、昼休みにはmonsterを一本飲む、みたいな変な習慣まで決まっている。

ま、僕は昔っからこういう生活態度で規則正しく生きるってのが癖になっているので、いまさら変える気にもなれないかなーって感じ。僕の患っている病気では生活習慣を規則正しくすることが重要だったりするし、勉強やその他のいろんな諸々でもこの生活習慣を正しくする癖で助かってはいるしね。

今日の本題はシロクマ先生の最近のエントリーを一つ紹介して終わろうかな?

20歳ぐらいの若者は、人生の主人公であると思っているけど、年齢を経るにしたがって主人公感を失って社会の歯車になっていくよねー? みたいなお話。

僕の感想としては下記の感じ。

30過ぎたら勢いからテクニックの人生に転換出来ないと辛いと思う。若さの勢いのままで行こうとしてる人が躓いてるイメージ。

孔子の言葉ではこんなのが残っている。

子曰、

「吾十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑はず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順(したが)ふ。

七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」

意味を訳するとこんなかんじ。

子曰く、、

「私は十五歳のとき学問に志を立てた。

三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。

四十歳になると、心に迷うことがなくなった。

五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。

六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。

七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、

人の道を踏みはずすことがなくなった」と。

(『論語』・旺文社)

大体30代ぐらいでルールを守る心構えができて、40ぐらいで吹っ切れるみたいだね。

なんってかさ、シロクマ先生がいう主人公感を持っている人はブロガーだと年をとってもそれを失っていない人が多い気がするのよ。普通の人は社会生活を送ったりするので社会の歯車になるほかない。ネット上のブログでは己が主人公のままで過ごすことができる。ってか、現代のようにネット社会になると社会が寸断化されて、ニートやら引きこもりでも自分が活動する分だけの手のひらサイズの世間を手に入れちゃって主人公感を失わずに人生を送ることができるようになってる気がする。

自由な生き方ができるようになって、孔子が言うような40でルールに従った人生でも迷いが吹っ切れるというのは逆に難しい社会になってる気もするね。いつまでも主人公感が消えずにいる感じがするな。いや、僕はわりかしルールに従順なタイプの人間だと思うんだけど、レールが敷かれてなくて自分でルールを決める人生って比較的難易度が高い気がするんだけどね。何かしらのロールモデルを知ってるほうが生きやすいと、おっちゃんはそう思うねん。