# 日記 # メンタルヘルス

ACTの練習の記録もブログに書いておく。

ACTの練習の記録もブログに書いておく。

ACTの練習の記録もブログに書いておく。

さて、今日もさっさとブログを書いちまうのである。月曜日の朝だ。しかも外は大雨。道路は大渋滞。こんな日でも働かんとならんし、働かないと食えないし、家にいる大五郎さんの餌代も稼がなきゃいけない。結局のところ、生きるためには働くのも我慢のうちになる。

また、逆説的ではあるが、働いているからこそ休日の意味がある。僕は病気で一年ほど何もしないで家に引きこもっていた時期があったけど、あのときは本当に生きているのか死んでいるのか分からなかった。ちゃんと働いているからこそ、休日に友人とカフェに行ったりとか、サウナに入ったりのなどの出来事が輝くのである。何もせずに毎日休日だと、相対的に休日の価値は下がり、やがて生きる理由も見失う。

常々思うのであるが、僕は行動してないと生きてる気がしない。なんだかんだと、毎日仕事や趣味に走り回ってるが、それだから人生に意味が生まれる。だが、それはそれとして大雨の月曜の大渋滞という最悪の気分をどうするか? 月曜の朝に雨が降っていて渋滞していると、間違いなく今日は遅刻するなって思う。気分は最悪である。体の中も嫌だ嫌だと騒いでいる。横隔膜のしたが痛んだり、体に嫌な気分の感覚がある。こういうとき、体の感覚を見るのが結構重要だ。

僕がいつもやっているACT(アクティブダンス&コミットメントセラピー)では、嫌な気分を解除するための「脱フュージョン」なる概念がある。また、気分はなんであれ、そのまま行動することが重要だという。嫌な気分を観察し、その感覚を理解してから少し距離を置く。そして、嫌だろうがなんだろうが、何はともあれやるべきことをやるのがACTの真髄だ。

脱フュージョンてのはなんなのかーと言うのは、セルフヘルプの本なんかでは、頭の中でその声をアニメ声で実況したり、古ぼけたテレビに映したりするイメージコントロールする方法があるが、あれは一つの例えだ。自分の気分を言語化して客観視し、どうそのままにして距離を置くかが脱フュージョンの文脈だと思う。人によっては言語化せずにイメージや体感のままで扱った人が効率がいい人もいるとは思うが、それをセルフヘルプ本では「こういう方法を真似して自分のやり方を見つけろ」と言っている。

僕の場合、気分が悪いときも「ああ、今悪い気分なんだな」と認知して、振り回されないようにするのは、最近できるようになってきた感覚だ。今までは会社での恨みとか過去の嫌な思い出が出てくると、それに振り回されて一日中嫌な気分のことが多かった。

マインドフルネスやACTを練習していると、わりかし自分の感情をコントロールできるようになる。感情の自動思考の面倒なところは、メタ認知の感覚、自分を観察する感覚が歪んでしまうところだ。思考が歪み、自分は何もできないとか、ろくでもないといった考え方自体が歪んで、それ以外の見方ができなくなる。

まぁ、感情という存在も人間を苦しめるだけではなく、環境にある危険を知らせるためのものだ。嫌な考えが浮かぶのも、生存のための危機管理のためだ。デフォルトモードネットワークという脳の仕組みがあるが、自分の記憶の中から危険だと思うことを暇なことに思い出すことで記憶に定着する。これにより再び危険な状況でも逃げたり戦ったりすることができる。ただ、現代ではストレスが過剰になり、この仕組みが過剰に働いてしまう。だからACTや脱フュージョンのような感情コントロールのテクニックが必要になる。

自分の認知行動療法も、思考と合わせて整理できてきた。こういう心理学系のセルフヘルプは体得しないと意味がない。本を読んで頭で理解しただけでは不十分で、それを体に馴染ませる必要がある。脱フュージョンも瞑想も武道のように何度も繰り返し鍛え、体に馴染ませなければならない。わりかし、僕はこういうのはちゃんと練習して、実生活で使えるようになるまで練習する真面目なところもある。

こんな風に自分のメンタルケアの練習の記録も、たまにブログで書いておこうかなと思う。こういう高ストレスの時はチャンスでもある。この時の体の反応なんかを記憶しておくと、後で同様のストレスを感じた時に脱フュージョンのための練習台として使いやすい。僕のセルフケアの練習はこうやって訓練してる。

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