# ブログ論 # 個人的なこと# 個人的なこと-考え方

僕は表現者としてあり続けたい。

僕は表現者としてあり続けたい。

僕は表現者としてあり続けたい。

微妙に「創作者の死」に陥っている。

ちょっと「創作者の死」について考えることがあった。はてなの古参の人の記事でインプットもせずにアウトプットすることが出来ないみたいなことを書いている人がいて共感したのだけど、どうにもちょっと攻撃的な人で言及するのははばかられるのでこっそりと。

自分も絵を描いたり小説を書いたりする創作をやる人間なんだけど、最近、モチベーションが低くて困っている。こういうことを考えていた。

ちょっと前に自分のブログで「創作者の死」について書いたけど、現状、まさに創作をやる気が起こらないスランプ状態で、なんか色々と考えている。https://t.co/rWKtEFAnHe

— ゆきにー@雑文書き (@yuki_20211) 2021年7月13日

何かしらインプットが肝心なのか?と思うけど、いまの興味ってなんか哲学とか社会学みたいな人文学系で、ヲタ趣味から随分と離れてしまってる。

創作は止めたくないんだけどなー

— ゆきにー@雑文書き (@yuki_20211) 2021年7月13日

創作をやることについては死ぬまで続けようと企んでいたんだけど、モチベーションが低くて手が動かないときはどうにも困ったものである。インプットが足りなくてアウトプットをすることが出来なくなってるのかと思うのだけど、最近は何かコンテンツではまれるものが見つからなくなってるのよね。

別に2次創作に限らずとも、1次創作でも何かを作ることができるのではないかと思うんだけど、1次創作の方が必要とされるモチベーションの量は高いもんだよね。描き出したい光景に対するイメージをしっかりと膨らませるのが求められることだし、何か基盤になるイメージがハッキリしている2次創作よりも難しい。

ブログも表現である。

別にさ、僕は創作関係ってのは必ずしも絵を描いたり小説を書くことだけとは思ってないのよね。こうやってブログを書くことも創作の一種だと思ってるフシがある。

なんというかさ、恥ずかしげもなく創作論を開陳するけど、僕は表現というのは「他者に対する自我の切断面である」と思っている。究極的に言えば、絵を描かなくても文章を書かなくても表現者である事はできる。

僕は自分という人間の生き様をこのブログで表現し続けているのだね。表現というのはその作品を通じて、自分の切り口を見せて他人と通じ合うことであると思っているので、その媒体は絵や小説じゃなくても別に構わない。ブログであろうがプログラミングであろうが、それで他人に自分の人となりを通じさせることが出来たのであればそれは表現だ。

僕の場合は、絵が描きたくなったら絵を描くし、小説を書きたくなったら小説を書く。そして完成した作品はこちらのブログを通じて発表させてもらう。ブログが自分のことを外部に伝えるメディアみたいな役割を果たしているのだけど、これ自体も作品であると僕は思っているのですけどね。

自分は表現の材料としてブログを使ってる。ここで自分の生き様を毎日一定のリズムで刻みつけている。自分というのがこういうモノであると他人が理解出来てるのであれば、それは充分表現だと思う。まぁ、それほど世間の注目度は高くはないですけど、表現は必ずしも多くの人に評価を受けたりする必要はない。ブログを通じて、自分という人間の思想とか生き方が伝われば、その時点で僕の人生に意味が生じてる。

ブログってのは、絵や小説みたいにランダムアクセスができる媒体ではなくて、音楽のようにシーケンシャルアクセスが求められる媒体であると思いますね。その価値を理解するためには、一エントリーを見て終わりじゃなくて、購読してないとその真価は分からない。

僕もいろんなブログを購読して読んでいるから分かるけど、ブログで表現される自己というのは、共に長いあいだ継続して読み続けて、その人の生活の息遣いが聞こえてきてみて分かるようなことだったりするんですよね。文章的には拙い技術しかないブログであっても、継続して読み続けることでその人の人となりがわかったりする。そうやって表現される自己が素晴らしいブログは、決して素晴らしい絵画や小説に見劣りするものではないと思う。

まとめ

僕は美学者という生き方にも興味がある。知り得る美学者といえば「吾輩は猫である」の迷亭ぐらいしか分からないけどさ、自分が知り得た美しい事。表現したかった過去の光景。それらのものを如何なる手段を用いても表現してしまう生き方というのはとても面白そうだ。

別にコンテンツというのはヲタコンテンツだけでもあるまいに。僕は興味がある方向へどんどん進み、それを絵だろうが小説だろうが、ブログだろうが表現してしまう。それで人生を意味をもたせて楽しく生きることができるのであれば、それは十分に幸せだ。

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