自分の承認欲求について考える。

自分の承認欲求について考える。
書くことについて考えている。
ここしばらくは生産的な生活をすることばかり書いていて、書くことについて書いてなかったな。僕がブログを書くことについてもなにかトレンドみたいなものがあるよね。その時やってることをひたすら書くばかりで、おなじ様な記事ばかりを書いているなーと思うことがある。
なんか、昨日、こういうことを考えた。
エモが籠もった良い文章を書けるようになりたいよな。
どうも、タイミングによって書けたり書けなかったりなのよね。
— ゆきにー@雑文書き (@yuki_20211) 2021年5月23日
おざなりの文章を書くのではなくて、自分の気持が籠もった文章を書いてみたいなと思ったのである。毎日文章を書いていると、やはりそういう気持ちの濃度というのは薄まってしまうのか、文章に情感が籠もらなくなる。エモい文章は書いていてとても気持ちいいものなんですね。自分が気持ちよくなるだけのために文章を書いている訳でもないけど、ブログを書くのであれば楽しく文章を書くようにしたいものだ。
ブログを書くのが惰性になってるのは自分も感じてる。でも、別に義務感だけで書いているのではないので、僕は書きたいと思うから書いている。義務感もあるかもしれないけど、それでもそこには自分の意思が働いているはずで、そういう気持ちがあるのであれば良いのではないか?思ってる。
まとめ
まぁそこまで卑下しなくても、幸いなことに読んでくれて温かいメッセージをくれる人もいる。多分、自分の道は間違ってないなという確信は、そうやってたまに得られるレスポンスによって支えられている。でも、自分はそこまで多くの人にちやほやされたいみたいな考えはない。自分は確実にここで書き続けているので、気が向いた時にでも訪れてもらって相変わらずくだらない話をしているのを読んでもらえれば満足なのだ。
はてなブログであれば、相互読者になってスターを付け合ったりだとか、そんな感じで生活を共有するのが楽しいと思ってる。なんか、こんな感じで適度に自己顕示欲を発散しているから、書き続けようと思う気力も湧く。年をとってこういう欲求まで失われてしまうのは恐ろしいことであるけども、僕は生臭さだからそこまで枯れてないし大丈夫かなという気もする。でもこれから先、どうなっていくのかは未知数だ。人生は生きてみないとどんな風になるか分からないというのは、楽しくも恐ろしいもんだ。
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